- 組合で組織的に出荷
ころ柿は、宮城県白石地方の農家で古くから作られており、手作業で皮をむき、風通しのいい場所で約1ヶ月干します。昭和27年宮城県ころ柿出荷協同組合を組織して、それぞれの農家で作られていたころ柿をまとめて出荷するようになりました。
- 一個ずつ新たな包装形態
かつて、ころ柿は青果物専門店の店頭販売が主流で、そのころは、セロハンで包み、木箱に入れて出荷していました。こうした出荷が40年間ほど続いてきましたが、暖房を完備したスーパーやデパートでの販売が主となった今、かびの発生や衛生面で問題になってきました。そこで、1個ずつ包装して、中に酸化防止剤も入れて密封した包装にしようと組合員に働きかけました。
- 通産省の事業を導入
長年続けてきた包装を変えることは、思った以上に大変なことで、通産省の事業を導入して3年ほどかかりました。現在の形態になったのは平成2年のことです。まず、市場調査、組合員の意識調査などを行い、新包装の必要の理解を得ました。酸化防止剤の取り扱い方や包装の密封の仕方などに注意を払い、安全・安心な商品づくりをしています。
- 柿の里、白石構想
平成7年には、農業者、行政、農業団体が協力して白石市の農業活性化を図るため,「柿の里白石」構想をたちあげました。柿を地域の戦略作物と位置付け白石の農業の活性化を図るとともに、柿の生活文化価値に注目し、市民を巻き込んだ全市的なまちづくりへと発展させていこうとするものです。その一環として宮城県ころ柿出荷協同組合では、柿の園地造成、遊休農地の柿畑への転換、干し柿生産のための省力施設、設備の導入などを行って、柿生産の拡大に努めています。